TSUCHIDA YASUHIKO - 土田康彦

育むということ

感性を育む

数年前、私はハワイのビーチで3歳の娘と散歩をしていた。すると、同じ年頃の日本人の女の子が一人で遊んでいた。砂浜には彼女の両親もいた。彼女は私の娘に「こんにちは」と挨拶をしてきた。私は「何歳?」と何気なく彼女に尋ねた。すると、単なる“数字”を待っていた私に、彼女はこう答えた。

「サクラが咲く頃、私、幼稚園に行くの」。

あっけにとられ、私はしばらく呆然と立ち尽くした。わずか3歳か4歳で、こんなにもポエティックな返事が、見知らぬ人に対してとっさにできることに驚いた。

私は人を外見や職業で判断するような愚かな人間ではないが、彼女の両親は、ごく一般的な方たちであるように思えた。その愛に育まれて彼女がすでに“詩人”となっている。そんな民族に私は出会ったことがない。一般の人が当たり前のように心にポエムを持って、「政府」や「国家」の以前に、大衆レベルで文化を醸成していくことができる。その意味で、日本は高度で高貴な文明を有していることを我々日本人が気付かなければならないし、ここに、日本の未来があると信じて止まない。

◆ 個性を育む

戦後、平均点を上げる教育を日本は続け、その代わりに個性が封じ込まれてきた。しかしながら、現在の教育レベル、ひいては現在の社会状況を生んだ原因がそこになかったと言い切れるだろうか。とんがった子供を丸め込むような教育はしてはならない。子供の時期に真ん丸に修まってしまった人間に、その後の成長や円熟はあり得ないからだ。ワインだってそうだ。出来立ての頃は、飲みにくいほどにごつごつした、とんがった味が時とともに丸く熟すのである。人の熟成には時間がかかるであろうが、それこそが人間教育なのだ。深い味わいや香りを自ら醗酵していくための時間を周囲の大人たちは辛抱強く見守り、育んでいかなければならない。

流れに背くことをすることによって発生する力もある。その小さな力が世界に大きく影響を与えることさえもある。その力と力が重なり合って大きなムーブメントを起こす可能性もある。いつでも利口に振る舞うだけが人間ではないことを教育者は心得ておくべきだ。

経済発展と環境問題の関係など、人間には時代の変貌とともに新たな課題が突きつけられる。それを突破するのは、日本が明治以来お家芸としてきた集団の結束力などではなく、個性に富んだ想像力と創造性だ。とんがった個性のその鋭さが時代をけん引していく。

実は、芸術家というものは究極的に個人的存在でいなければならない。閃きやアイディアを得てはじめて、芸術というものが生まれる。そのために、常に自分に向き合うことになる。自分の内なる世界を深めていくことがイマジネーションやクリエイティヴィティーと同義でもある職業だ。

個性的な集団はまとまりにくいか? そんなことはない。イタリア人のように、自分の親父や祖父が残した文化に誇りを持ち、母や祖母の手料理が世界で一番うまいと信じ、自分の地元のサッカーチームが一番強いと言い張り、好きな女性が世界で一番美しいと公言し、世界で一番美しい街は自分のふるさとだと誇る個性の強さが、イタリアという国を誇ることになるからだ

自国への誇りは国際人であることの前提条件でもある。日本人として日本という国に誇りを持っていることを示すことができて初めて、相手は認めてくれる。戦後の歴史教育や日本人の歴史観によって誇りを失くしていると言われるが、世界中を見渡して過去に過ちを犯していない国などない。

日本が国際的なフィールドで生き残っていくためには、自らの誇りを大切にし、さまざまな個性を育んでいくことがベースになければならない。

◆ 理想と現実を育む

黄昏の芸術大学の校庭。十一月の冷たい雨の中、彫刻科の女子生徒4人が大きな大理石に向かって制作に励んでいた。粉だらけの姿も、横殴りの雨も気にせず、無心に励む彼女たちの姿を見ていると、私は自分が堕落したのではないかと、胸を引きちぎられる思いだった。そのとき私が目撃していたのは、無邪気さという、まさに芸術の根幹だったのだ。しかし、同時に私は彼女たちの将来を思わざるを得なかった。私と同じように過酷な道が彼女たちを容赦なく襲うことを。

子供は誰でも理想主義者だ。そして段階を経て現実主義者へと進化していく。信念を高く持つほど、理想が現実と衝突を起こし、そして終いにははじき出されるか、飲み込まれるか。いずれにしても、理想と現実の間の孤独さの繰り返しを、20代にはわざとでもすべきだ。10年20年、日の目を見なくても、あえて潜水生活を孤高に楽しんでほしい。私は私の理想を求め、世界を旅し(世界とは距離の話をしているのではありませんし、旅とは旅行を意味しているのではありません。心の中の話でもあります)現実にぶちあたっては潰されて、傷心したり、打ちのめされたり、がっかりしたり、そのなかで生きてきた。

しかし、正直に言うならば、私は私の娘に、実際はこの世に戦争や憎しみや犯罪などといったものが存在することを教えたくはない。世にからくりがあることや、あまりにも残酷な現実が、いつだって、どこにだって転がっていることなど知りようのない子供は、超現実的に「信じる」ということを根源に持ち、それに基づいて生きている。芸術と共通する「超現実的に『信じる』」世界。しかし社会に出るとそれが非現実なものとなる悲しきこの世界。そう考えると教育とは残酷なものかもしれない。

◆ 光を育む

私にとっては「一寸先は光」としか思えない。そして、自分とその一寸先の光の間、そこには高く分厚い壁があるが故に、私は闇の中で潜水生活を強いられている、と言っても過言ではない。しかし、その壁を乗り越え、全身で光を浴びることのできる瞬間を夢みて、私は闇の中でもがき続ける。 だが、「暗闇で展開する潜水生活=(イコール)不幸せ」ではないのである。私は心底そう信じている。つかの間の光でもかまわない、それを求めて全力疾走しながら日々を送ることこそ、生きている証なのである。それこそが人間の幸福なのである。つまり孤独ではなく、孤高な、希望に満ちた人生を私は歩んでいるのだ。

作品が売れなくて、もがいていた若き頃のことを良く聞かれる。「苦しかったですか?」と。今だからこそ言うが、確かに苦しいこともあった。しかし、楽しい毎日だった。それらは決して不幸な日々ではなかった。いや、人生においてもっとも面白い時代だったかもしれない。

ありふれた日常の起き伏しのなかに、さりげない美しさを見つけることのできる人こそ芸術家であり、複雑で困難な時代の営みに、いくつもの小さな喜びや驚きを感じることのできる人こそ、幸福な人間なのである。どんなときも笑顔の人ほど強いものはない。

私は数年前まで、新作のコンセプトや閃きは、何か素敵な経験を元に、または、どこか遠くの場所を旅することによって新たな切り口や作風を見いだそうとしていた。しかし今は違う。日常の起き伏しの中に、さりげない美しさやユーモアを見つけることができる肯定的な心を、感性を、感受性を持つことができればいいのだと思える。父、母、祖母、祖父がしてくれたこと、現実的普遍的な日常のことこそ大切なことであり、それを日々繰り返していくなかで、安定した家庭や生活を保つことがどれほど大変なことなのかを教える必要がある。

孤独に打ちひしがれているのではなく、孤独に孤立しているのでもない。闇に包まれたままそびえ立つほどの力強い孤独。凛とした姿。そんな孤高の中で育まれるものを「光」と呼ぶ。