TSUCHIDA YASUHIKO - 土田康彦

『運命の交差点』

 月日を重ねて40代へ。物欲なんて失せて、今はただただ制
作に没頭したいだけ。自分自身の精神の奥深くに踏み込むと、そこ
には無限の宇宙が広がる。そこで僕は自由に描くのだ、自由にガラ
スを吹くのだ。

いつでも自由奔放に生きたいものだ。ここには人間の理性の及ばな
い孤立した世界がある。それこそが素晴らしい。しかし、自分の世
界に浸りきっていれば、周囲との付き合いが自ずと狭まってきてしまう。

 そんな事、気にもしていなかったが、この夏、旧くからの仲間と
の奇跡的な再会を経験した。もちろん嬉しいことだったが、それ以
上に僕にとっては驚きに感じられた。そしてこの不思議な感覚は、
言葉では言い表す事のできぬ感慨深い出来事だった。偶然的なタイ
ミングはしばらく続いた。その後、劇的な不思議な再会がしばらく
続いた。


『運命の交差点』

まさにこの言葉が、僕の今の心境をうまく表現してくれる。縁とか
巡り合わせとか、どことなくノスタルジックで感傷的気分に僕は浸
る。どれほど時が流れていても、例え僅かな時間を共有しただけの
事であっても。遠く離れる者、ここに居残る者、いずれにしてもそ
こに出会いがあったわけだ。また、それに伴い別れも生ずる。そし
て、それらは何らかの痕跡を僕の胸に残すのだった。そして、その
痕跡は消える事もない。足跡、航跡、形跡、傷跡、残痕、気配、影
そして香り...。

季節の変わり目、喜怒哀楽の狭間に古めかしい色彩の静寂を僕は感
じる。この感情はいったいどこから来るのだろう。そんなことを、
僕はずっと考えていた。今年の夏、僕は43歳になった直後く
らいから、その感情はこのような痕跡から満ちてくる微かな光のよ
うなものではないかと感じはじめていた。

神経を尖らせて、その痕跡が実際どこにあるのかを手探りで探して
みる。胸の辺り、心臓の近辺、腹部の上の方にきっと何かがありそ
うな気がしてならなかった。さらにそこを注意深く、覗き込んでみ
る。いくつもの糸が交差し合い、決してもう解く事ができなくなっ
た糸の塊が、様々な深さの引っ掻いた後のような模様をつけて、湾
曲したいくつもの道のりが複雑に交差して、そんなしこりが、ある
日の僕にははっきりみえたのだ。それが鮮明にみえたとき、僕は
はっと気がついた。そして、まるで自分自身の体内に、新大陸でも
発見した様な気分になった。



「そうだ、これこそがずっと気になっていた痕跡だ」

そして、痕跡は常に形を変えてゆく。これから先も、僕の人生を
たった一瞬でも横切るものは、そこに消す事のできぬ何らかの痕跡
を残すのであろう。

この想いを一言でいうなら、ガリシア語の「Saudade,サウ
ダーデ」という他の言語では言い表しにくい複雑なニュアンスを持
つ言葉が思い浮かんだ。あるいは北部イタリアの方言の
「Magone,マゴーネ」という辞書にさえ載っていない言葉が思
い浮かんだ。従って、今の想いを他の言語に翻訳することは困難だ。

いずれも人間の胸の内の郷愁、思慕、切なさのような感情を表現し
ようとする言葉なのだが、単なるノスタルジックなイメージではな
い言葉だ。従って日本語でもうまく言いあらわせない。独断と偏見
が許されるのなら、僕は自由気ままに「袖すれ合うも多生の縁」と
でも訳してみたい。

今はそんな気分だ。



運命の交差点にて...。

土田康彦 2012年9月29日 土曜日の朝、ヴェネチアは曇り。